もともとテレビっ子だった僕が、
テレビが無くても人付き合いで苦労しないのか?
生活できるのか?という実験です。
この記事の結論:惰性で見ていたテレビをやめ、自分で情報を取りに行くと生活の質が上がるし、人生が少しずつ動き出す
一人っ子で、暇を潰してくれたのはテレビでした
小さい頃はかなりテレビっ子でした。有名アニメの再放送や、教育テレビ、母と見る歌番組、健康番組、お笑い、ドラマ。とにかく暇を潰すのにテレビが大活躍でした。祖母の家に行ってもやっぱりテレビがついている。もう、生活の一部でした。貯まったお年玉で、大きなテレビやビデオデッキを買った思い出もあります。
芸能人の顔と名前が一致したり、うんちくを語れる事がカッコいいと少し思っていた子供でした。不思議と芸能人に憧れは抱かず、ドキュメンタリーで見た刀鍛治士やろくろを回す職人にあこがれていました。手に職を付けたいなぁとぼんやり思っていた子供時代です。
社会人になると、寂しくてテレビをつけていた
社会人になると、テレビの重要性は薄れていきます。でも、昔からの習慣でしょうか。寂しさを紛らわせるため、帰ってくるととりあえずテレビを付けて、ひとりごはんを食べていました。帰りが深夜だったこともあり、番組がやってないこともしばしば。流石に砂嵐とご飯はキツいので、好きな歌手のライブDVDを聴きながら食べたりしていました。
一人暮らしを始めたころ、友人とリサイクルショップに行って、洗濯機と冷蔵庫、ブラウン管テレビを一式揃えたのを覚えています。たしかテレビは4500円ぐらい。後に処分するとき7500円ぐらいの処分費がかかり、買った時より高く後悔する事になります。でも、新品のテレビを買う気になれなっかたんだよなぁ...。
テレビがなくても良いやと思った理由
テレビがなくても良いやと思った理由をざっと書いてみます。
・テレビ基準の価値観に疑問符。
・テレビで取り上げた食べ物にできる行列。
口コミではなく、「テレビで見て食べたいと思った!」というテレビ基準の動機。田舎に住みながら、その動機に違和感をもちました。
・見たい番組のあとに、チャンネルを変えてまで見続けてしまう。
・だんだん面白い番組がなくなっていった。
・有益な情報はほかから仕入れられると思った。
・そもそもテレビに捧げる時間が多いと気づいた。
特に良い習慣というわけでもないのに、テレビを見ている時間が多すぎる事に気付きました。ゲームをして、テレビを見て、漫画を読んで...。社会人になりたてのころは習慣化が苦手だったのですが、テレビ漬けの人生を変えればいい方向に向くのでは?とぼんやりと思っていたのです。他の家庭では当たり前だからこそ、無くしてみたら少しながら差ができるのでは?とも思いました。
かれこれ13年ぐらい地上波をつないでいない
社会人になって、そもそも見ないのが当たり前になった側面もありますが、当時テレビを買う余裕がなかったり、パソコンでこと足りていたり。色んな要因があって結局13年ぐらい地上波を繋いでいません。でも、最新のお笑いにもついていけますし、割と新しい歌手も知る事ができています。惰性で見るから、自分で情報を取りに行くに変えてみたのです。
・新聞・電子経済誌
・ビジネス書
・音声メディア
・Youtube
・Netflix
色んなコンテンツで情報はいくらでも入ります。
結婚して妻のご両親と話す中で、自分の好きな情報だけに偏ってないかという点は気をつけたほうが良いなと学びました。
話には全然ついていける
さすがに流行りのアイドルグループのメンバーの名前とか細かい事はわかりませんが、大体の話はついていくことができます。会社員時代は外回りの営業もなかったので、話題に困るという事も起きませんでした。昨日のテレビ番組の話はできませんが、例えば「歌手がYoutubeに乗せている動画あったよ!みたことある?」と自分が良く見ているところに話題も振れます。ただ、興味のおもむくままに情報を集めるので、普通の人より少しクセがある人になる可能性が高いです。でも、生き残りという観点で考えると、そいう戦略もありではないかなと思っています。
さいごに
この記事の結論:惰性で見ていたテレビをやめ、自分で情報を取りに行くと生活の質が上がるし、人生が少しずつ動き出す
皆さんは、他の家庭では当たり前だけど、
自分にとっては必要ない!と言えることありますか?
もし、あれば教えてください!取り入れたいです!
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