スイカの価格が1切れ498→298円と安くなりました。
甘みもだんだん落ちてきて、梨が旬になってきました。
季節の移り変わりを感じます。
今日は食の優先順位を考え直すというタイトルで進めたいと思います。
この記事の結論:食事ができるだけで幸せということに気付きたい。食の優先度を上げると、それ以外の事が対して重要じゃないことに気づける。結果、生活の質が上がったと感じられる。
食事は3食あって当たり前。
子供の頃からも、社会人になっても1日に3回食べられる事は当たり前だと思っていました。お金がない学生時代も、冷凍ご飯と納豆や、安いけどめっちゃ長いバケットとコーヒー牛乳、安くてとにかく1日3回はお腹に入れる。これを自然に続けていましたが、健康法に目を向けると、1日1食だったり、2食と少ない回数が推奨されています。僕も2食を4年以上続けていますが、調子が良いのでこの食スタイルが定着しています。
食事の回数は3食が当たり前ではないという事が衝撃でした。それまでの僕は、1日1回シャワーやお風呂に入る事と3食たべることは、自分の中の健康で文化的な最低限度の生活だと感じていたからです。
美味しい食べ物も、気づけば芸能人やSNS基準。他人軸。
大学生の頃は、大学近所で安く長居ができる焼肉チェーン店や、おかわりができるランチを目がけて、居酒屋チェーンに駆け込んでいました。どちらかというと安さ重視でした。社会人になって、少しお金に余裕ができると、外食がエンターテイメント化していきます。「この前テレビでやってたから行かない?」というデートになっていたり、「SNSでバズっているお店に行きたい。あのお店流行ってるらしいよ。」という話が日常でした。
いつしか食事をコストと感じる様になっていた。
家計管理に力を入れはじめてから、食事をコストとみなすようになっていました。そうなると、そうめんやパスタが大活躍します。一時的ですが、活動量が減る体験をしました。そうやって切り詰めたお金で大きな買い物や、娯楽に使う事で、より豊かな生活を目指していたと、改めて感じます。当たり前の日常を質素にして、まだ見ぬ刺激を手に入れたいという心も自然な気がします。
都内で一人暮らし歴が長く、駐車場代も馬鹿にならない状況で、収入も普通。そうなると車を買うという発想になりませんでしたが、切り詰めて買う幸せリストに車というのも、よくある話ではないでしょうか。車では無くても旅行やテーマパークに行くと言うのを周りからよく聞いていました。
本来、人は食事ができたらチョー幸せなはず。
ここまで、3食が当たり前。他人軸でエンタメな食。節約してまだ見ぬ刺激を手に入れる。と、普通と言えば普通の事を書いてみました。でも、その普通をしていると、なんだか満たされない感覚に僕は陥っていました。とても豊かなのになんでだろう?と疑問に思います。話は少し飛躍するのですが、今この瞬間、災害や戦争で食に困っている事態に直面している人が居るはずです。ここまで文明が発展する前、江戸時代でも、縄文時代でも、3食をここまで豊かに過ごせた時代は無かったのではないでしょうか。生きているだけで丸儲け!という名言にも通じる、「食事ができるだけでチョー幸せ!」という事実に気づける人を増やしたいなと思っています。
今日、何を食べよう?と考えられる事自体が豊かなんだと思います。その中で、僕らの食事は300年後の人が見たら、どう見えるんだろう?と、ふと思いました。「物が溢れていて、豊かな時代だったんだな」「誘惑が多すぎて遊んでたんだな」と見られるのではないか?とも思っています。
食事の優先度を上げ、自分軸を見つけると生活の質は上がる。
リアルフードを通して気づいた事は、食事は自分の身体を維持するために必要だし、選択によっては自分で体調管理もできる。スナックやスイーツ、お酒をほぼ飲まない代わりに、色々な食品を食べています。フルーツも多いので、節約に本気な家庭からしたら、そんなに食費使っているの?!とびっくりされそうです。ですが、1食1食を丁寧に過ごすと、沢山の学びや気付きがあり、みんなが欲しがるブランド物や時計などを買わなくても、自分の内側から満たされる感覚があるんです。
食を最優先事項にすると、それ以外の事が対して重要じゃないことにも気づき始めます。丁寧な暮らしに通じるところがあると思っています。
さいごに
この記事の結論:食事ができるだけで幸せということに気付きたい。食の優先度を上げると、それ以外の事が対して重要じゃないことに気づける。結果、生活の質が上がったと感じられる。
あなたの食事の優先度はどれぐらいですか?
一緒に考えてもらえるきっかけになっていたら嬉しいです!
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