当日は思考がいっぱいで、
発表しませんでした。
ここで、どんな事を考えていたか、
まとめていきたいと思います。
時に柔らかく、時に壮大なボウルサウンドと誘導
メディテーションでは、感謝から土台を作っていき、壮大なイメージを経由して未来を思い描いて行きました。感謝の柔らかい音色や、壮大なイメージにピッタリな重厚な音色。最後のクライマックスと重なる輝く様な音。即興とは思えないぐらい、マッチしていました。
リアルで聴く価値があります。
僕にとってのやったー!!!という事はなんだろう?
わかりやすく、”銀行口座を見るのが楽しい”とか、そうなっていると、僕も家族も、未来の家族も安心。と、どうにか他人との関係を持たせてみたりしていました。どうしても自分ごと中心になりがち。メディテーション前は物理的に満たされているイメージをしていました。
お芝居の世界や、スポーツの世界では、オーディションや舞台終わり、試合に"勝つ"=やったー!がイメージしやすいけど、勝負事に居ない僕にとってのやったー!はなんだろう?と考えていました。
どんな生活を送っていたいか?
微笑みが中心にある生活を送っていたい。
メディテーション後の僕にとってのやったー!!
誘導に従ってイメージを広げていくと、物理的な欲求ではなくて、人とのつながりをイメージしました。リアルフードという共通言語のコミュニティができていると嬉しい。やったー!!!という感情ではなくても、自分のなかの嬉しいとか、安心とかポジティブな感情のマックス値をイメージした先につながる未来を感じてみようと思いました。もちろん、自分の中のやったー!も探していく。
イベント後の変化
周波数が変わる前の気づき
最近気づいた事がありました。つい先日、免疫力の低下が原因なのか、口唇ヘルペスを発症していました。治るのには当分時間がかかるのは経験上知っているのに、早く治らないかな?と、ついつい鏡を見て経過を観察したくなるものです。外出した時に、街のショーウィンドウや鏡に映る自分を見て「なんか楽しくなさそうな表情」と気づいたのです。心は穏やかで楽しいはずなのに、表情がついてきていない。毎日楽しいと感じているのに、嘘だろ?と思って「僕って人からどう写っているのか?」妻に聞いてみました。
いつも、心は穏やかで、楽しいんだけど、
つまらなそうな顔してる?
え?!
楽しかったの?
つまらなそうな表情だったよ…
この日を境に、作り笑顔でもいいから、気付いたら微笑む様にしてみました。そうすると、妻も喜んでくれているんです。 でも、妻に投げかける言葉のトーンや、微笑みはどこか不自然で、「僕の中にある穏やかさや、楽しさ」は気持ちだけでは上手く表現できていない、そんなもどかしさを感じていました。
半年前に受けた、さやか先生の個人セッション(ボイスアチューメント)の資料を見返してみるとキーワードの一つに「笑顔」がありました。鏡で見て気づく前に、そもそも指摘されていました...という話です。
周波数が変わった。
セッションを受けて、周波数が変わりました。嘘をつくように、無理やりテンションを上げているわけではなく、自然と言葉や態度が気持ちと一致しているのです。旅行から帰宅する帰路では、疲れ切った妻を楽しませる事に徹しつつ、僕も楽しんでいたし、いつも以上に元気でした。そこには僕が理想として掲げた、笑い・微笑みが中心の生活がありました。細かい話をすると、妻に対して投げかける言葉や態度、お願いや、小さな注意の声のトーンがめちゃくちゃ柔らかい。いままでのトーンが刺々しく思えるぐらい。この体験を通して、僕の中では”周波数が変わった”と表現しています。
正直で在りたいという信念から、嘘の笑いや繕い笑いはしない主義です。天邪鬼な一面もあり、人付き合いに苦手意識がある時期もありました。だからこそ、自然と明るく振る舞える、他人を思って明るく振る舞えていることは僕の中でめちゃくちゃ嬉しい変化でした。1日経った今でもその状態が続いています。
思いがけない出来事。
ちょうど、僕の中で周波数が変わる体験をした、その日。じいちゃんが星になった。旅行から帰宅した翌日に、母から訃報の知らせをもらった。こうやってブログに書くと言うことは、誰かに見てもらうという前提で書いている。読んでもらいやすいように、語弊が無いように、細心の注意を払っているわけだけど、そうなると、文章は100%自分からでたピュアな物ではなくなる。加工されてジュエリーとなる原石の様に、そのままではなかなか世に出せる状態ではない文章だったりする。加えて、33年間生きていると、色んな物からインスパイアされて、もはや自分の中からでた言葉なのかどうなのか?怪しさを感じる。そんな疑念を抱きつつ、毎日1記事2000文字程度、着実に自分の言葉として文章を記している。そういう経緯があると、色々な言い方ができそうである。例えば、祖父があの世に逝った。爺さんが逝った。そいう見せる言葉ではなく、妻に状況伝える時、瞑想中に感謝した時に思い出したじいちゃんの表情や、物心ついた時からの色んな回想シーンを辿り、丁寧に出た言葉が「じいちゃんが星になった。」だった。口が追いつかず、じいちゃんが星になる。って言ったかもしれない。いずれにせよ、自分からでた純度100%に近い言葉。それを感じることができた経験はとても貴重で、とてもありがたい事だと感じた。ありがとう、じいちゃん。
不謹慎だけれど、自分が感じた思いや学びを形にしている最中なので、創作意欲と結びついた。じいちゃんとは将棋を指した思い出や、プラモデルを一緒に作ってもらった思い出、あせもができるからと、多めにつけていたベビーパウダーの香りや、おばあちゃんの思い出を寂しそうに語ってくれている晩年の姿。古いものから新しいものまで、ちゃんと記憶している。感謝と共に。僕は今、本当にやりたいことや、悔いのない人生のためには何をするか?考える事ができている。おじいちゃんは幸せだったのかな。こうやって形にすることを許してくれるかな。最期のお別れをしに会いに行くね。
さいごに
サロンに入っていたからこそ、
色々気付けるし、より深く学べている。
自力で頑張る世界線と比べ、最短距離を走っているはずです。
みなさんは、今日どんな選択をしますか?
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