「一生懸命に働いたら幸せになれる」と信じ、昭和的な働き方をした約10年。燃え尽き感を感じるほど、やりきった時には心身ともに疲弊していた。残念ながら幸せになれなかった。自ら追い込んだ底から「人生を好転させたい!」と決意し、約6年以上が経った。今では再就職し、サラリーマンとブロガーの2本柱で満足行く生活を送っている。失敗談と成功例をシェアしています。
久々の休日。余計なことを考えず、脳を休められる休み。1日中ダラダラしていたい気持ちもあるが、怠惰な心を無視して、喫茶店でブログを書いている。ここ最近の反省としては、休みが少なく、残業が多すぎたこと。新しい環境に慣れようと努力した結果、悪循環にはまっていた。人生をより善く生きようと決意し「すべて自責思考で生きる」と突っ走ってきて5年目で大きくつまずいている。
追い詰められると他責思考になりがち

良い循環を起こせるよう、日々努力をしている。反省し、改善しているが、なかなか好循環に突入しないもどかしさの中に居る。過去の記事で、仕事のやり方に正解は無いとまとめた。前職のやり方=自分の中の正しさとなり、新しい環境とのギャップに苦しむ。数あるビジネス書を参考に仕事とはこう在るべきだと、自分のなかの理想郷が出来上がっている。主観を抜いてフラットな心で向き合うものの、やはり上手くいかず、もどかしい。
新しい環境のやり方が正しい

見出し(新しい環境のやり方が正しい)にしたものの、やり方の正しい・正しくないについては議論しても仕方ないと思っている。一旦、新しい環境のルール・やり方を正しいと思って取り組むしかない。取り組んだ中で間違え、指摘され、自分の発想を信じられなくなる負のループにハマるが、ある程度こなせるまでは我慢。改善を提案したいところではあるが、まだグッと堪えている。これまでの歴史を重んじる。必要になったら改善を提案する。みながより良くなる提案のみ行う。頭の中では、このやり方では新しい人が入ってもできず、困る!最悪の場合辞めてしまうぞ?などと、妄想が膨らむ。ここまで書いていてもそうだが、自分は間違えていない。自分が正しいと言いたいような書きぶりになっていてショックを受ける。
〇〇がと言っているうちは、他責思考

休みの少なさ、残業の多さ、ブログ執筆による睡眠時間の不足。頭のモヤモヤをなんとかしようと、瞑想やジャーナリングをしても、頭はパンクするもの。まわりとより良い関係を構築するには、他責にならず、自責で行動するしかない。すべては自分によって世界は形作られる。どれだけ、自分の主張に正当性があろうと、〇〇がと言っている時点で、他責になっている。どれもこれも、自分が望んで選んだ選択肢。自ら掲げた役割を思い出す頻度も減り、自分は悪くない!の一点張りになる。数多の奇跡が創り出した私の身体と、今を共に生きてくれる人々に感謝しながら、今日も最高の私で世界に貢献していく。
解決策は至ってシンプル。休みを取る。睡眠を取る。これだけでもだいぶ違うはずだ。真新しい仕事にとまどい「とりあえずフル出勤して毎日取り組む」半ば訓練と思い、弱音を吐かずに取り組む。それは得意だ。訓練には我慢が内包されている。それが限界に来た。酷使した心身を早めに休める。そして、また順応するために試行錯誤する。やれることをやる。
追い詰められると身体が緊張する

勤め先のスケジュールに基づいた忙しさ。こればかりは自分でコントロールできないので仕方ないが、こなす内に、やはり呼吸を忘れている。過去の記事にも書いたが、作業に集中するあまり、呼吸が浅くなり、過緊張状態になる。この状態が続くと、身体が休みを欲して風邪をひくわけだが、私もまんまと風邪をひいた。熱こそ出なかったものの、ここ数日体調が悪い。花粉の影響もかんがえたが、今日の鼻水色占いでは風邪だった。やはり、長く息を吐くことの重要性を再認識した。コーヒーを飲んで、一息つく。浴室で一息つく。リラックスの象徴に頼るのも良いが、やはり、何もない状態で呼吸に集中するのが自分にとってのご褒美だと、身体に感じてもらえる感覚がある。
さいごに

いかがだったでしょうか?
自責思考を貫こう!と固く決意していても、
やはり他責になりがちだと経験しました。
早く順応したいところです。
最後までお読みいただきありがとうございます!
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