【実体験】やりたい事がはかどらない原因は〇〇しているから|仏教から学ぶ

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清水 康行

やす|清水康行
1989年生まれ。
食べる・動く・寝るを365日向き合っています。
ブロガー・ライター
リアルフードキッチン代表、
瞑想講師資格:WINメディテーション®公認プランナー
趣味:健康に向かう・生活の質を上げる・ブログ・散歩・瞑想・料理・アニメ鑑賞・読書・ダーカウ

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約10年続けた会社員を辞め、ブログに本腰をいれるぞ!と誓ったものの、いざ取り組んでみると記事数が伸びない。言い訳に「筆がのらない」だの「もっと良いテーマが欲しい」と、1年半ほどぼやいていました。そんな私が心機一転、2025年は1日1記事を投稿できている。丸1日時間があったことろより、投稿数が伸びている。できれば、定職に就く前に知りたかった秘訣をご紹介!


仕事を辞め、ブログに集中したい!その想いから、集中法や習慣化の本を読み、あれやこれやと試してみた。けれども、なかなか記事が進まない。その言い訳として、今日は調子が良い、今日は調子が悪い。少し瞑想してから、集中できる状態になってからパソコンを開こう。そうやって、ライティング作業が後回しになっていった。1年に200記事書き上げて、燃え尽きる。気づけばどんどんブログの頻度が下がっていた。そんな過去の私に教えてあげたい。なぜ、やる気がでないか?それは判断しているから。具体的なアドバイスはこう。「判断せずに、やる」、単純で明快だから、腑に落とすまで苦労した。今回は、私が腑に落ちた話をシェアしたい。

やりたい事がはかどらない原因は〇〇|仏教から学ぶ

以前のブログも取り上げた通り、初期仏教では「人生は虚しい、虚しい」と捉える、簡単にまとめると、最期には何も残らず、能力も肉体もどんどん衰える。だから、今、「辛い!」「苦しい!」と鬼の形相で生きるのではなく、どうせなら明るく生きなさい。そんな教えだった。それを理解した上で、次の話。やりたいことがはかどらないのは、すべて「判断」のせいである。これについて日本テーラワーダ協会のアルボムッレ・スマナサーラ長老が解説してくれている。できれば通して観るか聴いて貰ったほうが、理解は深まると思うが、3時間ほどの長尺なうえ、アイスブレイクなどもある。模様替えなどの時に耳にブルートゥースイヤフォンなどされて、聴きながら作業するのもいいかもしれない。今回は私が参考にして、自分に落とし込んだ部分だけ紹介する。

すべての原因は「判断」にある

過去の記事に書いたのだが、1年半のフリーランス挑戦期に、どうしても”やる気”が出ない事が悩みだった。やる気がでないから、散歩して気分転換しよう。やる気を出すために瞑想してみよう。と試したがダメだった。スマナサーラ長老によれば、これは才能があるとか、ないとかの話では無いらしい。すべては、判断しているからおかしなことになる。と言う。

どいうことか?ブログをやらなければならない!と思っているが、PCを開くのが面倒。楽しい!と思えないからやりたくない。新規投稿画面の真っ白い画面を目の前にして「何を書けばいいのか、わからない」が不快で、タイピングが進まない。いいアイデアが思い浮かばないから、書き進められない。これらがすべて”判断”だと言う。

修行僧を思い浮かべる

ここではわかりやすいので、あえて修行の話をする。スマナサーラ長老によれば修行を行う時は、判断を禁ずる。判断すると、どうなるか?身体がだるいと感じるから、少し寝てから、修行をしよう。修行は辛いから、休憩してから修行に移ろう。これは、修行とは言わない。なぜなら、判断してしまっている。好きだからやる、嫌いだからやらないは判断だ。この場合、身体がだるいと感じる=今は修行に取り組みたくない、だから休む。そうではない。修行は判断をせず、取り組む。正しい判断を手に入れるために修練を行う。具体的な内容はわからないが、禅寺だと、坐禅を組んだり、掃除をしたり、炊事洗濯が思い浮かぶ。小学生でも理解できそうな話。気分が乗るから行うのは修行ではない。やりたい時にやり、やりたくない時にやらないのは娯楽・道楽に近い。修行を転用して、やりたいことに置き換える。判断せずに、取り組む。”やりたい”ことなのに判断しないで取り組むとは、少し混乱するが、つまり、修行と捉える。なんだよ、そのつまらない結論は!と怒らないで欲しい。なぜなら、私はこの考え方で1日1記事のブログ365を続けられている。

今やトップアーティストも過去にYoutubeに歌ってみた動画を投稿している。例えば藤井風氏。無名時代の動画は1本どころではなく、何本ある。それは、楽しい作業だから投稿したのではなく、淡々と、アップロードしたと推察する。もちろん、才能あるアーティストの無名時代を掘り起こして、同じ目線で語るのはおこがましいかもしれない。けれど、そう考えなければ、無名で影響がほぼ0に等しい状態で、インターネットに作品をアップロードしようと思えるのだろうか?と、私は疑問に思う。だれもが喝采する素晴らしい作品でなければ投稿できないと、考えてた時期が私にはあったが、実際の投稿作業に判断はいらない。作品を作り、投稿し続ける。その先にオリジナリティをつかめる

今、書いているこの記事が、オリジナリティを掴む最中で、少しずつではあるが、掴めてきている実感がある。もしも、あなたも何かに挑戦しようと思うなら、YoutubeでもInstagramでも、ブログでも何でも良い。作品を1つでも多く作る。できあがった我が子をインターネット、発表会、マルシェ、路上ライブと、誰かに向けて発表する。フィードバックを得る。それが必要なのだと、理解してきた。

さいごに

修行を転用して、やたいことに置き換えたとき、あなたの取り組む事はなんだろうか?ぜひ、考えて行動に移してみて欲しい。

やす
やす

いかがだったでしょうか?
今回は、判断せずにやりたいことに取り組む大切さを解説しました。

最後までお読みいただきありがとうございます!
Yasublogでは、”生活の質が上がる”をテーマに記事を執筆しています。
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