「一生懸命に働いたら幸せになれる」と信じ、昭和的な働き方をした約10年。燃え尽き感を感じるほど、やりきった時には心身ともに疲弊していた。残念ながら幸せになれなかった。自ら追い込んだ底から「人生を好転させたい!」と決意し、約6年以上が経った。今では再就職し、サラリーマンとブロガーの2本柱で満足行く生活を送っている。失敗談と成功例をシェアしています。
土日出勤が終わり、ようやく身体を休められそう。日付が変わろうとしている深夜、まもなく家に着きそうだと安堵した時、ふと思いました。「全身の細胞を使っている気がする」そんな感覚。最近の目標が「全身の細胞を使っている」だったので、とても嬉しかった。幸福感を味わいました。仕事先で主催するイベントの運営で、走り回った結果、両日合わせて5.5万歩を記録していました。ただいま脚の披露感にもだえています。
自分なりの幸せモノサシはあるか

退職前やフリーランスの挑戦期1年半の私では、到底、幸福感を得られなかっただろうなと、そんな振り返りをしていました。なぜ、幸福感に繋がった言えば、先に書いた通り「全身の細胞を使っている」状態が望みだった事。退職前の私の望みは、「自分の脳力でもっと世界に貢献する」でした。会社による世界への貢献度の比較は難しいものの、慣れきってしまった前職ではなく、新しい分野で挑戦したい。それらが合わさって、「やりたいこと」に繋がったのでした。
みんなが言う幸せは本当なのか?

物心ついてから強烈に思ったのは、みんなが言う幸せは本当なのか?です。特に流行りのスイーツや服、歌。どれもこれも、誰が流行りを作っていて、それって本当に自分の欲しいものなのか?疑問でした。あの人が良い!っていってたから気になる、欲しいは自分の欲求のようで、誰かの刷り込み。消費に向かわせる社会の仕組み上しょうがないのですが、自然と欲しくなるようにデザインされていると感じていました。そんなわけで、12年ほどテレビを地上波に繋いでいない特殊な環境の中で生活しています。ニュースはネットで取得できるし、自分の興味が強い情報を取ってくるため、他人の刷り込みが薄まっているような感覚があります。もちろん発信者がいれば、その人の意図があると思うので、100%刷り込み回避は難しいでしょうけど、少しずつ、自分の望みがわかってくる。そんな感覚も味わっています。
中高生時代の記憶ですが、話題のスイーツがテレビで取り上げられると、それを知っていることが凄いこと。知っていることが正義のように扱われることに疑問を持ちました。スイーツが好きで、最新情報を追っているなら理解できますが、新しい物好きな場合がほとんど。ネットが充実した今では、どんな話題が繰り広げられているかわかりませんが、もしかしたらYoutuberが取り上げた事が正義になっているのかもしれませんね。
自分の幸せモノサシで突き進んだ結果、笑われることもある
私の価値観の中で、健康が最優先事項です。よく食べ、よく動き、よく寝る。このシンプルな取り組みを極める事を念頭に生活しています。食料の買い出しをリュックに詰め、散歩することで、負荷をかけた歩行訓練に早変わり。ネギをリュック脇に突き刺し、歩く、歩く。
会社の昼食には納豆ともち麦ごはん、りんごとバナナ。りんごはまるかじりです。以前、知り合った方に、リュックを背負って買い出しに行ってる姿の発信に対して「そんな発信をするんだ(笑)」と小馬鹿にされたことがありました。私は、特に落ち込むでもなく、怒るでもなく「あ、買い出しをリュックに詰め、運動効果が上がるのにこの人は小馬鹿にしかできないのか」と、少し残念な気持ちにはなりました。特に、人を変える気もないので、反論もしてませんが、その方にとっては「やらないこと」もしくは「恥ずかしいこと」なのかもしれません。もう、話す機会もないので、真相はわかりません。
会社で納豆を食べて過ごしていますが、周りに伺いを立てて取り入れた食習慣です。もちろん、匂いがあるので、確認、断りを入れ、根回しはしました。過去にも食べていた人がいたそうで、安心していたある日のこと。納豆を肯定してくれていたはずの人が、掌返し。他の人との雑談で「会社で納豆食べてるのウケるよね(笑)」と、何気ない一言を言われました。話題としてネタに使ったのかもしれませんが、こちらも残念な気持ちになりました。
大事なのは自分の幸せモノサシ

私にとっては全て幸福感に繋がること。一方で「普通」の中で生活をしていると、見えないようにしていること、もしくは見ないようにしていることなのかもしれません。自分の幸せモノサシを基に生きていると、少し変わった人になるかもしれませんが、みんなと揃えている幸せの中で生きていると得られない幸福感を得られている実感があります。普通が間違っていると言いたいわけではなく、「本当に欲していることなのか」は吟味したい。そんな話しでした。こうやって長々と書いたけど、自分の幸せモノサシが正しいか、本当は怪しいところ。明日はその事について書いていこうを思っています。
さいごに

いかがだったでしょうか?
みなさんはどんな時に幸せを感じますか?
最後までお読みいただきありがとうございます!
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