帰省〜お墓参りと海〜

マインドフルネス
この記事を書いた人
清水 康行

やす|清水康行
1989年生まれ。
食べる・動く・寝るを365日向き合っています。
ブロガー・ライター
リアルフードキッチン代表、瞑想講師資格:WINメディテーション®公認プランナー
趣味:健康に向かう・生活の質を上げる・散歩・瞑想・アニメ鑑賞・読書・ダーカウ

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やす
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先日観た、シェイクスピアの演劇、
シン・タイタスREBORNの余韻をもちつつ、
地元に帰省、お墓参りに行ってきました。

お墓参り

本日は、祖母のお墓参りに行ってきました。こればっかりはタイミングなのですが、祖母が他界した後に、妻と結ばれました。なので、生前に妻の顔を見せる事が出来ませんでした。今日やっと挨拶ができました。妻と僕、両家のお墓参りができ、一区切り。これからも定期的に挨拶に行くものの、妻とこれた喜びを感じていました。

最近では、お墓参りに来る人も少なくなった様で、親族の間で墓じまいの話も話題に上がります。僕らとしては、幸いにもお墓参りに意義を感じています。しばらく清水家のお墓は残していけそうです。

観劇の余韻そのままに、届くメッセージ。

詳しく把握はしていないものの、日蓮宗の10月のメッセージが貼ってありました。

「真に優しい人は
自分を戒め
他人を憎まず
自分に厳しく
他人を慈しむ」

悲劇を起こさない、繰り返さないためには、やはり似たようなメッセージが届くなぁと、その偶然と奇妙に喜びを感じていました。特に、他人を憎まず、他人を慈しむというメッセージ。大事だなぁ。

やす
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社会人経験の中で、
自分を責めすぎて辛かった思い出があります。
自分を戒め、自分に厳しくの部分は、
今の自分に当てはめ、上手く消化していきます。

足りない、無い、そんなことはなく、ここに在る。

実家から歩いて10分。都会で見れない貴重な景色。

居心地が悪くって、20歳で家を出ました。当時、大学まで電車で1時間30分の距離にある地元に帰ってくるのが煩わしくて。移り気な心の若者にとっては、帰ってくる場所というより、廃れゆくつまらない地元と写っていました。落ち着いて海を眺められる程度には歳を重ね、気づけば13年経っていました。

都会に居れば、海の景色が貴重に感じて、地元にいる時には、何かに囚われ、海に魅力を感じる心がどこかに行っていました。祖父の介護と現役で仕事をしている両親には、徒歩圏内の海より、旅行の方が楽しい様で、近くにあればあるほど、見落としてしまうものなのかなぁ...。そこに在るのに。と、子供ながらに、余計なおせっかい心がこんにちはしました。

ふと感じる、ここに在る。

今日は夕日を観つつ、波の声を聞いて、潮風を感じていたら、ふと、「ここにすべて在る」と感じました。ここ最近だと、自分の望む将来をイメージして、心地の良い状態を思い受けべたりしています。物質的に欲しい物も思い浮かべたりしますが、海を感じていると「欲しいって思っているもの全部無くっても、この景色に帰ってこれたらそれでいいのかも」とさえ思いました。

もし、僕が帰ってきたいと思ったら、こんなにも豊かな自然と共存する地元がある。母や父もいる。生命の源の海はどこか穏やかで、根無し草な人生だと思いこんでいたんだけど、ここが地元なのかもしれないと思った瞬間でした。

気付きって無理やり作るもんでもないよなぁ。

こういう形で、感じたこと、考えた事をブログで書けるいい時代にいるなぁ…と感じています。その反面、みんさんに読んでもらえるようなブログを書こう!と思うと、なかなか書けない事もしばしば。何か気づきっぽい事を書かないといけないのか?と囚われる心も少しあります。でも、素直に感じた事を書いていると、なんだかんだと、2000文字書けている。”物事を正面から捉える”ということと、”今を感じる”とリンクしてると感じています。

先日の観劇に紐づいてお墓参りでも気づきを得ることができる。心の在り方次第では、どんな状況でも気づきを得ることができるんだなぁと感じています。

波の音をどうぞ

やす
やす

波を聞きながら、座禅を組んでいましたが、
あまり長くは組んでいられませんでした。
久々の海は、風もあって、どこか不安になる。
自然の畏怖を感じました。

さいごに

やす
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たまには地元に帰るのもいいですね!
皆さんの地元はどんなところですか?
疎遠になっていた地元の友達に会いに、
また帰ってこようと思いました!

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