鳥の飼育経験がまったくない私(やす)のオカメインコ飼育記録です。鳥好きの妻と相談しながら、少し変わった性格のオカメインコ(シナモンパール♀)の「もい」と一緒に生活する様子を記しています。
もいが2025年7月14日から入院し7月21日にできた最期の面会。1分ほど姿を見ることができ、ほんの少し安心して仕事へ向かう。この時、退職と重なっていて7月23日が最終出勤日。衰弱していたもいの容態は心配だったが、一旦出勤するしかなかった。


もいの訃報を聞いたのは朝の通勤中


2025年7月22日、通勤中に電話が鳴った。電車の座席に座り、スマホを握っていたからすぐに出ることができた。妻には何かあったら電話してと伝えていたから、嫌な予感がした。もうすぐ下車駅だったけど、人も少なかったし緊急だと感じたから通話することにした。電話越しに妻が泣いていることはわかった。「どうした?」と聞くと取り乱しながらも一生懸命に、もいが息絶えてたことを伝えてくれた。朝の定期連絡で病院から報告があったらしい。通勤中の日常から突然の連絡で嘘だと思った。でも、繰り返し伝えてくれる事実に対して、妻に伝える言葉は「受け止め切れないな」が精一杯だった。通話が終わって、呆然としていたため、危うく下車しそびれるところだった。
会社に到着し、大学からの友人である同僚に訃報を報告。所属していた課のグループLINEにも報告して仕事開始。しばらくすると不意に涙があふれ出して止まらず、仕事にならない。見かねた上司が早退を許可してくれ、12:00には会社を出ることができた。退職日だったこともあり、花束をもらった。いつも乗ることの無い時間帯の電車は人が少なく、落ち着いて帰れたと思う。
葬儀の予約はすぐに終わった
帰宅している途中で葬儀屋を探した。7月末で少し暑かったから、もいをきれいな状態でどのぐらいキープできるのかとても不安で、なるべく早く葬儀をした方が良いと思った。できる限り長く一緒に居たいけど、亡き骸とずっと一緒にいるわけにもいかない。心の整理をするためにも、お別れは早めが得策に思えた。電話でオペレーターさんと相談し、7月23日の16:00に火葬の予約をした。
依頼した葬儀会社:優心セレモニー(運営会社:株式会社 優心)
〒107-0062 東京都港区南青山7-3-1 3F/4F
誰も居ない家に帰宅


誰もいない家に戻り、もいのケージを眺めながら込み上げてきた感情は「なんで?」だった。怒り?悲しみ?憤り?感情がよくわからないが声を出して泣いていた。「なんでもいなんだ?」「通院が少なかったから見つけるのが遅くなった?」「今までの判断が何かまちがていたか?」そんなことを考えながら「もっと一緒に居られると思ったのに」「1年3ヶ月は短すぎる…早すぎる…」「もっと一緒にいたかった」「ごめんね」と謝りながら後悔の念が込み上げてきた。どれぐらい時間が経ったかはわからないが、体内の水分がずいんぶん失われた事を実感しつつ、頭痛に襲われていた。誰もいない家でひとり、時間が過ぎていく。
妻ともいを迎えに行く


しばらくして仕事終わりの妻と合流し、動物病院にもいを迎えに行った。少し遠いが近所だから自転車で向かう。面会にも訪れていたから、こんなに早くまた病院に来るとは思っていなかった。待合室での時間がとても長く感じた。まだ現実を受け止め切れず、本当はもいじゃないんじゃないか?他のオカメインコと間違えていないか?とそんな可能性を信じたい私がいた。名前を呼ばれ、診察室に入ると先生と机だけ。面会の時にあった虫かごがない。あれ?もいはどこだ?と思ったら、長細い箱が出てきた。ティッシュ箱の4分の1程度の大きさで、箱を開けると眠っているようなもいがそこに居た。安らかな表情をしていて、息を引き取ったのがわかった。不謹慎だが、彼女の表情は面会の時の苦しそうな表情から解放されていたから少し嬉しかった。当時は身体全体で呼吸をしなければ息が苦しい状況で、本当に苦しそうな姿が最後だったから、穏やかな表情を見て「もう苦しくないね」と思った。顔を拭いてもらっているみたいで、とてもきれいだった。撫でても怒らない。反応がない。横たわるもい。「頑張ったね」と声をかけるのが精一杯。涙が溢れ、獣医さんに「ありがとうございました」と心からのお礼ができたが、うまく表情を作れていた自信がない。帽子のつばで目を隠し、もいを引き取った。
帰宅後は悲しみが押し寄せた
自転車で家まで連れて帰る。もいが揺れないように気をつけながらゆっくり走った。帰宅して妻と一緒にもいをケージのそばに丁寧に置いて、泣き崩れた。体に力が入らず、足が踏ん張れない。元気になって帰ってくると信じてたのに、どうして?もいの主食のシードもおやつの粟穂もまだまだいっぱいあるよ?空気清浄機も用意した。ケージも洗ったよ?これからもずっと一緒に暮らせると思って準備万端だったんだ。どうしてこんな結果になってしまったんだろう。今までの飼育方法がすべて間違っていたような気がして、異変を感じた時にすぐに病院に行くと判断できなかった自分を責めてしまう。そんな事をしても、もいは戻って来ないとわかっているのに。茅の輪くぐりも、お賽銭も意味なかった。神様なんていないんだ、突きつけられた現実は残酷だった。
最期の晩餐


食事を食べる気力がわかないけど、移動に涙に体力を使ったから何か食べた方が良いと思って適当にスープを作った。いつもなら、調理中にもいが肩に飛んでくるけど、私の肩には誰もいない。なにかがいつもと違う。足りない。呼び鳴きの声も響かない。夜、寝かしつけの子守唄も歌う必要がない。日常のふとした行動で、もいがいない事を実感し、悔しくて涙が出てくる。どうしていないんだろう?何度も同じ問が浮かぶ。亡き骸といっしょに最後の晩餐をとった。食事、皿洗いを終え、もう一度箱を開け、もいを眺める。
「最期は苦しかったね。一人にさせてごめんね。苦しいときこそ一緒に居たかったよね。家に帰ってくるために頑張ったね。今までありがとう。愛している。大好きだよ。」と、撫でながら沢山の言葉をかけた。夜は一緒に寝たい、できるだけもいのそばに居たいと思った。29℃湿度70%超えの家でどれぐらい保つのだろう?腐敗しないだろうかと不安になったため、キャンプで使う保冷力高めのパックを箱の下に敷いて安置した。普段はリビングの場所に布団を敷いて、夫婦2人ともい1羽、気持ちも身体も寄り添って眠ることにした。
眠る前に手紙を書いた


心の整理のため、眠る前に手紙を書いた。私は私、妻は妻でそれぞれの想いを綴り、火葬の時に一緒に供えるためでもあった。書いて燃やすことで、区切りとしては十分かと思ったが、お互いにどんな想いでもいをお迎えし、どんな気持ちで一緒に過ごしたのか?知りたいし、もいに聞かせたいとも思った。オカメインコではあるけれど、話しかければほんの少し言葉がわかった、「ちょっと待っててね」と言えば静かになったり、「ごはんたべなよ」と手でくちばしをつつくジェスチャーすれば彼女はシードを喰らった。もう還ってこないけど読み聞かせる事で少しばかりは気持ちが伝わる気がしたし、私たちの心が少し救われるような気がしたから。
お互いに書き終わり、読み上げる事にした。妻は泣きつかれ、最初は読む事に乗り気ではなかったけど、もいは言葉がわかったからね、届くかもしれないね、と伝えると気持ちを切り替えてくれた。言葉を口にすると思ってたよりも辛く、想いが込み上げてくる。手紙はにじむし、疲れもピーク。それでもまだ涙は枯れなくて、体のどこにそんなに水分があったのか?と思うくらい、たくさん泣き、鼻をかんだ。お迎えした理由や、一緒に暮らした思い出、色々話したけど私たち夫婦がもいに伝えたかったのは「大好きで愛しているよ、ありがとう」ただそれだけだった。泣きながら、撫でた。動かず、冷たくなったもいはとても綺麗で、もうすぐ触れられなくなってしまう羽の感触を忘れないため、声をかけながら何度も撫でた。頭やくちばし、ほっぺのあたり、背中やお腹、尻尾。感触を忘れないために、たくさん触れた。もう何時に眠ったか覚えていない。
7月23日、葬儀の日
朝になった。ここまで書いた出来事が嘘だったら良いなと思ったけど、起きた風景がいつもとは違って、リビングの天井を眺めていた。頭上にはもいがいる。現実だった。真っ白な布で優しく包んだ箱を慎重に開けて、沈黙の顔と対面する。「おはよう」と声をかけ納得するまで撫でた。火葬してしまったら二度と触れられないから、寝る前とは違った気持ち。少し笑顔で撫でる事ができたと思う。


火葬の時間まではまだ余裕がある。出棺するときに供える花を買いに花屋さんに向かった。呼び鳴きしないもいを家に残し、出かけた。花はシナモンパールのもいに似合うようにヒマワリを中心に買った。病院の箱は少し狭いから大きめの箱に移して、退職の時にもらった花を添えたりしてさみしくないように飾った。その日はよく晴れていたと思う。




16:00になる前に電話が鳴った。どうやらもうすぐ業者が到着するようだ。ペットとは言え、どう考えても家族だったもい。気持ちを切り変えるため、私たち夫婦は喪服に着替えた。泣きつかれた身体を無理やり動かし、花束ともいの入った箱を持って葬儀屋に会いに行く。業者は家の目の前まで火葬用の車で来てくれた。思いのほか小型の車で、車の中に炉が入っていた。感じの良い年配の方が降りてきた。
炉は茶碗が6個ばかり焼けそうな小型のタイプ。扉を開けるとペットシーツの敷かれた台座がスライドして出てきた。どうやらこの上にもいを置くらしい。華やかに飾ろうと思っていたが、タオル類やおもちゃ類は備えられないようだった。どれだけ高温にしても素材によっては灰にならずドロドロに溶けて残ってしまうらしい。最終的にペットシーツの上にもいと花、私たちの写真と手紙、少しばかりのシードと粟穂を並べて出棺した。初めての飼い鳥でたくさんの笑顔と幸せをくれたもい。燃やしたくない想いと、ちゃんとお別れしないといけない気持ち、堪えきれない想いがあふれ、とても笑顔でいられなかったけど、しっかりと見送った。炉の中に収まった事を見届け、業者の方から説明を受ける。どうやら、近所の駐車できるスペースで火葬をするようで、わたしたちは自宅に戻ってもいの帰りを待った。ソファーに腰掛け、全身に力が入らず、天井を見上げ、ぼーっとして待った。


しばらくして業者からの呼び出しがあり、迎えに行く。車中はかなり暑いのか、汗だくになった業者さんが案内してくれた。炉の扉を開くともいがでてきた。小さな骨が数点。かなり細かいが、燃え尽きず綺麗に残った様だった。人間の火葬後と同様、お骨拾いをして小さな陶器の瓶に収めた。骨の部位の説明を受け、一つずつ拾っていく。ほうきですべて回収し、壺に収まる。化粧袋に包んでらえた。紐の先の房飾りで見ないが「もいちゃん」の名前と「一歳四ヵ月」のプリントシールが貼られている。妻と一緒に持つには小さい骨壺を大事に受け取った。お金を払い、業者の方とお別れをし帰宅する。空っぽになったケージの隣に骨壺を置き、一息つく。ようやく「もいが帰ってきた」と思え、安堵した。本来なら、短くても10年。長くて20年ぐらいは一緒にいられると思ってお迎えしたもんだから、あまりにも早い別れにこころは追いついていなかった。入院から見送りまで忙しなく、これから始まるもいの居ない日常がどんなものか予想すらしていなかった。
さいごに
初めてのオカメインコ「もい」と一緒に過ごした時間は1年。数字にすると短く感じるが、振り返ってみるとたくさんの思い出をもらった。私たち夫婦も愛情をいっぱい注いだ。たった1年だったけど、心の中の存在は大きく、大好きだった。ここまで読んでいただけた方には、1羽との別れはとてもつらく、精神的にキツい事をわかってもらえたのではないかと思う。これからお迎えを考える人は覚悟を持って欲しいと思うし、価格が安いからと安易に飼うのはおすすめしない。ここから私はペットロスを経験することになり、どれぐらいの時間をかけて克服したかをまとめていきたいと思う。それはまた次回の記事でお会いしましょう。


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